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晴耕雨読?それとも晴耕雨打?

仕事・家庭菜園・囲碁・アンネのバラ・そして旅行。結構忙しい。

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東北ボランティア 20170820

朝4時半起床、宿舎の清掃、荷物の整理をして、6時に別院を出発した。
今回は4日間とも雨模様の天気。何でももう1ヶ月以上太陽が出ていないとか。朝晩は肌寒い毎日だった。



南相馬まで高速を走り、そこから飯舘村を経由して二本松まで一般道。



飯舘に入る峠道には除染作業のものと思われる袋が、処分の道もなくシートを掛けた状態で、数限りなく置いてある。
政府は避難していた人たちに「もう家に帰れます」と、説明している。助成金を打ち切る方針だと聞いた。



その時の線量は、峠の道で0.5マイクロシーベルト強、道の駅周辺の平地で0.2マイクロシーベルトだった。
線量は高く汚染袋が数多く置いてある状態の中に帰れとは、なかなか帰宅は進まないのではと思われる。

ただ、半年前には建物しかなかった道の駅がオープンし、イベントの準備のため慌ただしく動く人が見られたことは嬉しいことだった。

草刈りをしている住民の姿も見られたが、子どもは見られなかった。

その後順調に進み、「これなら18時までには丹後に着くかな」と思った矢先、砺波に入ったあたりで大渋滞。調べてみると小矢部SA手前で事故現場に遭遇したが、15分程度にロスタイムで通過することができた。





20時過ぎ無事丹後に到着。
次のボランティアは来年の3月の予定。

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東北ボランティア 20170819 その3

3階と4階は水没はせず、学校に残っていた児童や避難をしてきた地域の人たち320名を救った。

しかし、町のほとんどが流され学校の外は海、校舎内も1階は廊下に車が流れ込み、学校からの避難の目途が立ったのは救援ヘリが来てからであった。

20170819 荒浜小学校廊下 20170819 荒浜小学校屋上01

4階で震災のDVDを見て屋上に上がると、思った以上に狭い屋上だった。
年少の児童から順に一人ひとりロープでヘリに救助されるには12時間かかった。

20170819 荒浜小学校屋上02

屋上から周囲を見渡すと、浜と平行に走っている道路の浜側には墓地以外何もない。居住不適地域として住民全員移転をしたそうだ。

20170819 荒浜地区

丹後震災のあと、道路の拡幅など網野町の道路が整備されたことがあるが、地域をまるごと移転するのは大きなエネルギーを要したことだと思う。
地域の代表者や市職員の方々に脱帽。

広い居住不適地域の活用が今後の大きな課題だそうだ。5年後、10年後、ここがどんなふうになるのか気になるところである。

浜に慰霊のため観音立像が建立されているので、お参りをした。



浜では、「海辺の写真展」が開かれていた。



荒浜小学校で予定外の時間を費やしたので、スーパー銭湯を取りやめて、杜の市場で買物を済ませ別院へ帰った。

17時からミーティング、19時から食事、明日は早朝出発できるよう、荷物の整理をして、22時過ぎ就寝。

東北ボランティア 20170819 その2

昼食後、閖上の日和山へ行った。
この周辺は3月と比べても大きな変化が見られたところだ。大型車両がひっきりなしに通っている。重機もある。
「震災から6年5ヶ月」と石で書かれたモニュメントがあった。



慰霊碑にお参りをして、



次は、荒浜小学校。現在この校舎は使われておらず、補強工事を施し震災遺構として一般開放されたばかりだ。

校舎は津波に捻じ曲げられたベランダの鉄柵が痛々しい。





見学していると、(元?)市職員の男性が丁寧に案内をしてくださった。

1階は水没、教室前の廊下には津波が押し込んだ車が3台潰されていた。

2階の50cmくらいま津波が押し寄せている。それがわかる水位の跡がくっきりと残っている。二階の壁にある白いボードの中央あたりだ。



その3に続く

東北ボランティア 20170819

朝6時起床、というかアラームは5時半にセットしていたのだがマナーモードにしていて気付かなかった。

7時から30分間、宿舎を提供してもらった西本願寺別院の朝のお勤めに参加させてもらった。
我が家と宗派が違うので初めてのお経で戸惑ったが、教えてもらいながらなんとかついていった。

お勤めが済むとすぐ千年希望の丘に向けて出発。
霧雨が降り始めた。

雨は現地でも止まなかったが、カッパを着て作業を始めた。





途中雷が鳴り始め安全のため車中待機をしたがすぐに収まり作業再開。
作業時間は2時間ほどだったが20人の力はすごい。丘1つの除草を終えることができた。





作業後は千年希望の丘での震災研修。
ビデオを見、Sさんの話を聞き、慰霊碑のにお参りをして、千年希望の丘での活動を終えた。

写真の階段は元は建物として利用されていて震災で瓦礫となったもの。1つ1つの思い出を忘れないようにとの願いから利用されたものだそうだ。



千年希望の丘に続いて昼食を兼ねてメープル館へ行った。3月に来たときは14時を回っていて全ての食堂が閉店していたが、今回は12時ちょうどに行ったので食べることができた。
海鮮丼は1500円で少し高かったが、美味かった。

一角に震災当時のDVD映像が見られるテレビが置いてあった。
見ていたら、食事を済ませたメンバーがやってきた。



メープル館は早くから市場を再開している。市場が開かれる日は広い駐車場が満車になるほどの人が集まってくるらしい。
道路や宅地の整備はまだほとんど進んでいない。早く街が復興されることを願うばかりだ。



このあと浜に建てられた観音像や荒浜小学校へも行ったが、明日は帰路につくため4時半起床の予定。
続きは明日書くことにする。

東北ボランティア 20170818

朝5時起床、6時からサロン用のばら寿司作りに挑戦。



ワイワイ言いながら1時間半約100人分のバラ寿司が完成した。



このあと3グループに分かれてサロン会場へ。
私が行ったのは閖上(ゆりあげ)の復興住宅。先月から入居が開始されたばかりの真新しい団地。

ここでは今日からお茶っこサロンがオープンするのを祝って、一階のホールで獅子舞や子ども神輿の披露や市長の挨拶などさまざまなオープニングセレモニーが実施された。



私たちは6階の集会所でバラ寿司を作ってお茶っ子サロンの準備。朝宿舎で作ったのは他の会場で食べてもらう分。閖上の分は参加者の人数が読めないため、会場で参加者数を確認してから作ることになっていたのだ。

閖上地区に着いたとき半年前(今年の3月)と比べて周辺の様子が一変していた。
土地整備の工事が進みだしているのだ。整備が進むのは良いことなのだが6年経ってやっとという感は拭い去れない。6年も経ってしまうと避難先での新しい生活が始まり元の地域へ帰るハードルが高くなってしまう。復興が急ピッチで進むことを願わずにはいられない。



セレモニーが終わり多くの人たちが集会所に集まってきた。
参加者50人弱スタッフや私達を合わせると70人~80人分の寿司を作ることになった。事前に100分の材料を準備していたため、不足することなく準備が完了した。



バラ寿司を一緒に食べ歓談し、予定の時間があっという間に終わってしまった。

集会所を出て仙台城(青葉山城)に立ち寄った。ここは明治初頭から先の戦争までの間の出来事で、本丸始め全てと建物が失われ城址は石垣のみとなっていた。
記録のビデオを見ていると、二条城と勝るとも劣らない立派な城だったようだ。



明日は千年希望の丘で除草作業。朝7時出発予定なので5時半起床か。早い目に寝よう。

東北ボランティア 20170817

今日から20日まで3泊4日の東北ボランティア。
行き先は宮城県仙台市周辺。

午前6時京丹後市役所を出発。大宮と宮津からのメンバーを合わせて総勢20名。



2時間に1度10分程度の休憩を含み約11時間で宿舎の仙台別院に到着。17時であった。

到着後すぐ別院のスタッフさんから宿舎の利用やボランティア活動に関する諸説明を聞いた。

明日は6時からバラ寿司づくり。
といっても私に何ができるかわからないが、ともかく5時起き。
さあ寝よう。

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