晴耕雨読?それとも晴耕雨打?

仕事・家庭菜園・囲碁・アンネのバラ・そして旅行。結構忙しい。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

金剛童子山 登山

今日は一日がかりで、味土野の細川ガラシャの隠棲地と金剛童子山の頂上へ登ってきた。
ガラシャの女城はこれまでたびたび訪れているが時期が少し早いので山野草の花はほとんど見られなかった。
その北側には男城があるが、私はまだそこには行ったことがない。一度城跡を探しに行ってみたいものだ。
女城見取り図 男城女城跡図 昭和初期の味土野
女城2 女城1

女城をあとにして金剛童子山の登山道へ向った。今ちょうど福寿草が満開だ。地元の人に尋ねたところ、自生の福寿草らしい。自然の中で、実に見事に咲いている。
福寿草1 福寿草2

登山道を登っていくと、さすが味土野。山の上にある村だけに、日陰にはまだたくさんの雪が残っていた。頂上付近にはもっと多く残っていて、たまたまオフロードバイクの一団が来ていたのだが(頂上まで登っていた)、頂上から少し下がったところで雪のぬかるみにタイヤを取られて悪戦苦闘していた。
残雪1 残雪2 残雪3

頂上の見晴らしはすこぶる悪い。景色はほとんど見えない。といっても全くダメなのではなく、頂上の手前には180度パノラマが見られる(弥栄町→丹後町)展望台があり、そこには無料の双眼鏡が設置されていた。今日は霞がかかり透明度はなかったが、見晴らしはすこぶる良かった。
弥栄町 丹後町

頂上には避難小屋があり、中にはなぜか役小角が祀られていた。行者堂跡か。見晴らしは良くないが、ここは中世の山城跡、平坦面はかなり広い。
頂上の行者堂 行者堂内部の役小角像 役小角の説明板

帰りは登りと違う道を下った。登りは作業道を兼ねた登山道なので歩きやすい道だったが、距離はある。帰りは距離は短いが勾配がそこそこある。どちらが楽かな。
金剛童子山を下り、味土野の村へ戻った。集落から少し下がったところに滝がある。落差は20m~30mか。目測なので間違っているかもしれないが。(^^ゞ
水量はかなりあり、夏は涼しいかも。しかし、滝壺まで下りるのは少し大変。下りられない人はこの動画で我慢してください。
ツクシとフキノトウ 味土野の滝

[広告] VPS

スポンサーサイト

ジャガイモの植え付け準備

今日やっとジャガイモの畝作りをした。元肥えとして米糠と化成肥料。午前中は忙しく帰ってきたら13時半。それからの畑仕事なのでしっかりと畝をつくることはできなかったが、なんとか形はできた。いつもは小型耕運機を使うのだが、今日は半日なので鍬で耕した。けっこう疲れた。(+o+)
肥料と米糠を撒いて なんとか耕しました

耕していたとき、植えた覚えのないヒヤシンスの一段が目に入った。柿の木の根元に10本くらい花が咲いていた。去年までは咲いていなかったと思うのだが、いつ誰が植えたのだろう・・・・・
ヒヤシンス1 ヒヤシンス2 ヒヤシンス3 ヒヤシンス4

畑を耕し終えてから、キャベツやブロッコリーを見ると、普通サイズと比べると小さいが、食用にはできるていどに大きくなっていたので、キャベツ1個、ブロッコリー4個を、そして周りに植えてあるレタスを少々収穫した。
貴重な食前のサラダだ。
時期外れだけど食べられるのだろうか・・・・・(^^ゞ
ブロッコリー1 ブロッコリー2 キャベツ 今日の収穫




与謝野弓道協会総会

最近はあまり練習できていないが、今年度の総会には出席した。
この1年、非常に多くの活動が実施され、練習参加延べ人数も実に2800人を超えていると報告があった。4,5年前と比べると2倍近い伸びだそうだ。

また、昨年春に京丹後市で弓道教室を開催し、多くの参加者があった。その結果、例年になく多くの会員が増えた。今年も同様の企画を実施することが今日の総会で決まった。新年度の京丹後市体育協会の事業として募集されることになるだろう。有段者による初心者指導も手厚く丁寧、与謝野町だけでなく京丹後市の会員も多数いる。多くの人に弓道の面白さを感じてもらいたいものだ。

私はと言うと、昨年の7月に入会し始めの2,3ヶ月は精勤に練習に参加していたが、いろいろなことがあり最近はほとんど練習できていない。
今日も総会の後、月例会があったのだが、参加できなかった。 (T_T)
早く雑用を整理し、弓道に気持ちを向けていきたいものだ。

加悦子ども囲碁教室

何年振りだろう。ほんとに久しぶりに加悦子ども囲碁教室に行ってきた。
9路盤での指導碁4局と四段の青年との9路盤対局を1局。最年少は就学前の女の子。なんとか女の子の勝ち筋を探すのだが、これが難しい。とうとう5目勝ってしまった。
今日は2勝2敗。最後の対局でアタリを気づかず取られてしまい、その場で投了。相手は嬉しそうにしていた。そのときふと思った。「あ、難しく考えずに素直に負ければ初心者は気を良くして囲碁を楽しんでくれるのだ」と。指導する側はともかくも初心者が楽しくなるようにするのが一番だと思った。
地元の指導碁でも参考にしたい。
地元の子ども教室ではないが、浅からぬ縁のある囲碁教室。なかなか参加できなかったが、これからはできるだけ行くようにしよう。

マリーゴールドの種まき

フレンチマリーゴールドの種を1袋買ってきて、昨日準備したポットに植えた。
昨日のうちポットに種まきの土を入れ水をたっぷりしみ込ませておいた。その上に1つか2つの種を置き、さらに種蒔きの土で覆い、水をたっぷり。
発芽は2,3週間後かな。発芽率はどのくらいだろう。
ポットに種を撒いたのはジャガイモ畑に定植するため。セン虫防除に効果があるらしい。
今日の作業はこれだけ。他は何もしなかった。明日はぼちぼちジャガイモの畝作りかな。
マリーゴールドの種1 マリーゴールドの種2 マリーゴールドのポット1 マリーゴールドのポット2

マリーゴールドの種まき?

ジャガイモ、イチゴ、バラなど多くの野菜のコンパニオンプランツとして役に立つマリーゴールド。
今日はマリーゴールドの種まきをするために、1つ1つポットに種まきの土を入れた。
54ポットに土を入れ、さあ種蒔きと思ってマリーゴールドの種を取りに行ったが、どこにも見当たらない。車の中、畑仕事用のかごの中、物置の農業道具の周り、木小屋の中、全部探したが見当たらない。探すこと30分。もう一度買うことにして、今日の作業はここで終了。(^^ゞ
↓種が蒔けなかったポット
マリーゴールドのポット

種を探しているとき、家の前の花壇のチューリップが2輪咲いていた。手前にはにおいスミレ。これからいろんな花が咲いてくる良い季節がやってきた。
花壇のチューリップ1 チューリップ2 チューリップ3
チューリップ4 チューリップ5 においスミレ

鉢植えにしている芍薬も芽を出してきた。
芍薬の発芽1 芍薬の発芽2 芍薬の発芽3




大槌町ボランティア まとめ(2)

3日目:仮設住宅のバラ寿司作りボランティア。10時半から14時過ぎまでの間で感じたことの筆頭は、私は話し相手もできないということだった。
カリタスのスタッフの方に「お茶っこしてください」と促され、参加者の高齢者と話をしたのだが話したことと言えば、今フキノトウが出始めたということとバラ寿司の具材のおぼろ(そぼろ)が使われないということくらい。10分か15分がせいぜいだった。今思えば、今年の気候とか、丹後と東北の気候の違いとか、他にもあったと思うが、そのときは話が途切れてしまいどう切り出せば会話が進むのかまったくわからなくなってしまった。テーマが決まっている話はそれほど難しいとは思わないのだが、ただ楽しい時間を過ごすための四方山話は難しい。それを発展させる方法を見つけること、それが今後の課題。うまくできるかどうか分からないが、少しずつかもしれないが、とりとめのない話ができるよう努力していきたい。
でも、良い方法があれば知りたい。男性高齢者とは、コマ回しの話や些細なことができる、できないと、童心に返ってワイワイ話ができたのだが・・・・・。
別の女性高齢者からは、集会所に展示されている手芸について作り方について事細かに話をしてもらった。楽しそうに説明しておられた。その話を聞いていて、「聞いてほしい」気持ちが強いんだなあ、そして震災後4年もたつのに自分の作品を展示する機会がないのではないと思った。私の地元では毎年11月に文化祭と称して、いろいろな作品(手芸あり、活動報告書あり、スポーツ祭典のトロフィーあり)を展示している。準備は前日1日がかりだ。大槌の人たちにはこういう機会はまだ訪れていないのではないかと思う。作品展を企画するのも面白いかもしれない。

夜のIYさんの震災体験談では、「大槌は報道されないうちに消えた町」と表現された言葉が最も強烈に残っている。
大槌町ボランティア まとめ(1)でもアップしているが、ほんとうに町が消えたのだ。震災後4年経った今は瓦礫はきれいに撤去されているが、津波が終わり火災が終わった後は、元の街並みは全くなくなっている。
大槌を再建しようと思っても、仕事がない。1つの自治体にできることではない。このままでは人口減少は止まらないし、高齢者の町になってしまい、町の財政が破綻する恐れさえあるという話も聞いた。
そんな中でも、大槌町を再建しようと頑張っている人は多い。仮設住宅生活に疲れた人たちや再建に疲れた人たちに、ひとときの休息・安堵を感じてもらえるようなボランティアを続けていきたい。
囲碁が打ちたいが盤石がないと思っている人がいたら、丹後から持っていって対局をしてもらうボランティアはないものだろうか。
今年は5月と8月にもボランティアバスが計画されている。仕事の了解が取れれば、これからも参加していくつもりだ。
そして、いつか一人でも大槌に行きボランティア活動に参加していきたい。

オープンカレッジ丹後学 現地研修

先週の木曜日の講座は岩手県大槌町行きで休んでしまったので、オープンカレッジ丹後学 歴史編2は受講できなかった。
今日は丹後学の最終回。
午前中は、経ヶ岬→袖志の棚田→丹後松島→屏風岩→大成古墳→道の駅てんきてんき丹後で昼食
午後は、神明山古墳→鬼神塚(牧の谷)→竹野神社
を回る。それぞれの地点では受講生によるガイドの練習。私は大成古墳群の担当。

自宅を出るときは晴れ、集合場所に行った時は霙と変化の激しい裏西になってしまったが、まずは経ヶ岬に向けて出発。
経ヶ岬に着いた時は風は冷たいが雨は止んでいた。
駐車場の右手の方から経ヶ岬を見ると真っ白の灯台が見える。去年の11月に来た時は対岸に越前海岸が見えたが今日は見えなかった。しかし、右手には冠島が見えた。足元の海を見ると屏風岩のような大きな岩が見えた。これも安山岩(もしかしたら流紋岩)の柱状節理がはっきりと見えた。
ここの岸壁はハヤブサが巣をつくっているということで、春になると望遠レンズのアマチュアカメラマンたちが大勢写真を取りにくるそうだ。写真を取りに来ている風景でも取りに来るかな。(^^)v
経ヶ岬の灯台1 経ヶ岬の灯台2 経ヶ岬の安山岩

2番目は袖志の棚田。棚田では耕運機が入り春の準備が始まっていた。棚田の地形は海岸段丘の上に作られている。写真では分かりにくいがここの海岸段丘は4段になっている。その平面をうまく利用して棚田はつくられている。今年の2月まで宇川地区周辺の遺跡調査で山の中を歩いたが、宇川地区では山の中であっても活用できる平面は無駄なく活用している。さらには灌漑用の水路まで整備されている。棚田は土地を大切にする人の心が作りだしたものなのだろう。
田植えの準備が始まっている袖志の棚田 袖志の棚田

3番目は犬ヶ岬から見た丹後松島。
丹後松島の景色を堪能していると誰かが「サルの親子がいる」と下の方を指さした。距離がだいぶあるのですぐには分からなかったが、良く見ると母子サルと思われる2頭が見えた。しばらくすると新たに子ザルが2,3頭と親ザルが1頭現れた。子ザル2頭は最初のサルの方へ走っている。サルの一家かな。兄弟がたくさんいて楽しそうだった。
丹後松島1 丹後松島2

4番目は屏風岩。屏風岩は凝灰岩の中にマグマが貫入し固まったものだと言われている。凝灰岩がしっかりとしていたため、貫入したマグマが下から上に貫入したままの状態で固まったものだ。
今日は雨が降ったりやんだりの天気。屏風岩の左の崖には滝のように雨水が流れていた。私たちは普段は多岐になっていないため「幻の滝」と呼んでいる。
屏風岩1 屏風岩2

5番目は大成古墳群。いよいよ私の出番だ。
大成に着いた時は少し風がある程度で雨は止んでいた。8号墳のところまで歩きそこで説明し始めたところ、まもなく強風が吹き始めた。ここは梅風をさえぎるものが何もない地形をしているため、かなりの強風だ。簡単に古墳群の配置を説明するだけでそうそうに切り上げた。
ラッキーだったのか案ラッキーだったのか・・・。(^^ゞ

ここで昼食休憩。道の駅「てんきてんき丹後」に行った。
中にはNOPまちづくりサポートセンターがある。その入り口には日本全国のジオパーク地図が張ってあった。
腹ごしらえをすませたら、近くの立岩からだ。
てんきてんき丹後 ジオパーク地図 案内板

6番目は立岩。ここでは霙混じりの雨。しばらく車の中で雨宿り。
風は吹いているが強風と言うほどでもない。雨が止んだので外に出て説明を聞いた。
ここは竹野川の河口部。沖から押し寄せる波で河口部の砂は盛り上がりカモメには絶好の風除けになっていた。
立岩もマグマが貫入してできたものだが、屏風岩と比べると1つ大きな違いがある。
屏風岩はマグマが貫入した地盤が固かったものであるのに対して、立岩周辺は地盤が軟らかく地下から上がってきたマグマを支えきれずにマグマが横に流れて固まったものと言われている。だから屏風岩は細長く、立岩は横に広がった安山岩になっているのだ(写真3 2011年ジオパークセミナー資料より)。
立岩 風をよけているカモメ 屏風岩・立岩のでき方001

7番目は神明山古墳。全長190mの前方後円墳である。
実は、私がここに登るのはこれが初めて。
ガイドでの説明にあったように、確かにここは網野銚子山古墳から見る網野町の景色と良く似ている。
神明山の説明は、現地に設置されている説明板の写真をアップしておいたので、それを参考に。(^^ゞ
神明山古墳頂上 神明山古墳説明板 神明山古墳から立岩を望む1 神明山古墳から立岩を望む2

8番目は鬼神塚。鬼神塚はあちこちにあったが少し前にここに集められたと言われている。ここには「鬼神塚」と書かれた石が6つと「霊神参同良契信女」と書かれた墓石?があった。
鬼神塚はまだ他にもあるらしいが、それがどこなのか今のところわかっていない。また「霊神参同良契信女」と書かれた墓石だが、「信女」とあるから戒名かと思うが「霊神」という戒名は変わっている。何か謂れがあるのではないだろうか。
それともう一つ。そのすぐ傍には男根と思われる石があった。この石の謂れは全く分かっていない。
鬼神塚1 鬼神塚2 墓石? 男根?

最後は竹野神社。
竹野神社は、大県主由碁理の娘で9代開化天皇の妃となった竹野媛が晩年ここに天照大神を祭った神社である。
その横には竹野媛が祀られている斎宮神社もある。
竹野神社本殿 斎宮神社本殿

駆け足で回った研修会だったが、久しぶりに楽しい散歩をすることができた。


大槌町ボランティア まとめ(1)

この4日間のことを思い出していた。

1日目:現地でのボランティア活動はまったくの初体験。何をどうしたら良いのか全くイメージが湧いてこない。ともかく大槌行きのバスの中で私は、ボランティアとしてどんなことが自分にできるのか、そのことを探そうと考えていた。
夜宿舎の大沢旅館で明日からの活動の打ち合わせがあった。しかし、やはりイメージは湧いてこない。

2日目:遠野を過ぎ釜石に入ったころから、道路に「津波浸水区間」と書かれた道路標識が目につくようになった。
下の写真の、
「右1690m」は右折すると1690m先まで津波が到達した、
「左1030m」は左折すると1030m先まで津波が到達した、
「後方800m」は引き返すと800m先まで津波が到達した、ことを表しているということだった。
つまり、津波から逃げるときこの標識がある交差点に差し掛かった時には「引き返せ!そうすれば800mで津波が到達しなかった地域に着く」ということを表している。間違って右折した場合は「1690m先まで逃げなければ津波が届かない地点には行けない」ことになり、それだけ危険が増すというわけだ。
津波が来る地域では必ず覚えておかなければいけない標識だ。
津波浸水区間の標識

津波に襲われ命からがら逃げることができた人の体験談を聞きながら、城山公園、旧町役場、ひょうたん島、風の電話ボックス、森の図書館を訪れた。

Youtubeで見た城山公園から市街地を見たが、今は何もなく地上げの工事が進められている。津波は防波堤(目測だが5mくらいはありそうな大きな防波堤、写真4)を乗り越え線路を押し流してしまった(写真5)。そのため今回の津波さえ乗り越えられないような巨大な防波堤が気づかれる計画だと聞いた。海が全く海が見えなくなることには賛否両論あり、どちらが良いことなのか難しい問題だということだった。
また映像にたくさんの声が入っている。おそらく中学高校生だろう。逃げ惑う人や車を、そして瓦礫と化していく町を目の当たりにして何もできず茫然と意味のない言葉を発していたこの子たちは、今どうしているのだろう。少しは元気になっているのだろうか。
下の2枚の写真はほぼ同じアングルで撮ったものである。津波が襲っている写真はYoutubeから、現在の写真は先日私が撮ったものである。
津波に襲われている元の街並み 2015年3月20日の街並み?

地上げ工事中の土地 無残な防波堤 列車の橋げた

旧町役場では、町政を担っていた多くの人たち(町長以下の役職職員)が約40名亡くなっている。
現在大槌町では、仕事がない→若い人がもどらない、もどれない→商業が下火になる→仕事がない
と悪循環があり、人口減少に歯止めが利かない状態だとも聞いた。この悪循環を断ち切る良い施策はないものだろうか。
町役場の時計 焼香

この後、訪れた風の電話ボックスから少し離れたところに水仙が咲き始めていた。電話ボックスの入り口に植えられているアンネのバラももう2ヶ月もしたらきっと咲いてくれることだろう。
咲き始めた水仙1 咲き始めた水仙2 風の電話ボックス脇のアンネのバラ1 風の電話ボックス脇のアンネのバラ2

大槌町ボランティア最終日

昨日で活動が終わり、今日は大槌町を後にする。
出発のため荷物を持って玄関に集合。全員が揃うのを待っている間に震災時の火災の話になった。
森林火災の炎は宿舎前の山の向こう側から飛び火してこちら側に燃え移って来たらしい。
山の上の方の木がまばらになっているところが燃えたところということだった。津波直後のため消防署は機能せず手の施しようがない状態だっただろう。
森林火災の炎が燃え移ってきた山

6時に出発。釜石まで来ると山の上に大きな観音像があった。津波にさらわれて戻ってこない人のために作られたものだろう。海の方を向いて手を合わせている。

少し進むと、大掛かりなベルトコンベアが設置されているところがあった。集積場から工事現場まで土を運ぶために作られたものだ。今日は止まっていたが、普段は24時間操業をしているとのこと。そのすぐ傍に「奇跡の一本松」のモニュメントが立てられていた。住民の心を支えた奇跡の一本松と現実の工事。異質なものを感じてしまった。

奇跡の一本松1 奇跡の一本松2

テーマが「丹後のバラ寿司を入居者の人たちと一緒に作りながら、楽しいひとときを過ごす」ということだったので、料理ができない私としては、何ができるのか不安だったが、それでもゆっくりだがニンジンを細かく(千切り?)切った。(^^)v
脚が悪くなり調理に参加できないおばあさんと話をしたり、食後は男性高齢者と童心に帰ってコマ回しをしたり、それなりにすることが出てきた。少しは役に立ったかな。(^^♪
17時頃大槌のスタッフさんからバスの中の私たちに、バラ寿司作りについて参加者からのお礼の伝言「バラ寿司うめかった。今度はいつくんだ?」というメールが私たちの代表者のところに届いた。嬉しいメールだった。被災地訪問という重いテーマの活動だったが、また行こうと決めた。
さらに、高校生から高齢者まで幅広い年齢層の参加があり、いろいろな人の意見を聞くことができた。まだ少しは役に立つことがありそうだから、今後も続けられるよう、健康を維持できるようにしたい。

このあと、昔から見たかった安達太良山と磐梯山を眺めながら日本海側に抜け、無事丹後に帰った。
安達太良山 磐梯山

該当の記事は見つかりませんでした。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。