晴耕雨読?それとも晴耕雨打?

仕事・家庭菜園・囲碁・アンネのバラ・そして旅行。結構忙しい。

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正倉院展

行きたい行きたいと思っていた正倉院展、11月4日念願かなってやっと行くことができた。
(^O^)/

しかし、知人が病のためどうしても御札がほしかったので、その前に足を延ばして薬師寺に行ってきた。

薬師寺は今東塔の修理が始まったところ。普段は間近に見られない東塔の相輪や水煙が展示してあり、見学することにした。そこには白鳳伽藍復興用の樹齢1000年のヒノキの大木など興味深いものばかりだった。

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右側の縦じまのシートで覆われているのが東塔

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東塔の相輪と水煙

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白鳳伽藍復興用のヒノキ

ちょっと寄って御札を買うつもりが、3時間ほど経ってしまった。
まあ、いつものことだが・・・(^^ゞ

そんなわけで、奈良国立博物館についたのは14時を回っていた。
入口まで100mくらい入場者の列があったが、最後尾に並んで待っていた。思ったよりも速いテンポで進んでいったが、おっとどっこい、100mくらい先で列が折り返されて結局200mくらい並んだのだろうか。

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ずらりとならんだ入館者の列

中も予想通りかなりの人で混雑していたが、マイペースで進んでいった。
今年の目玉「漆金薄絵盤(うるしきんぱくえのばん)」はさすがに最前列と2列目とに列が区切られ、最前列で見るのは待ち時間が30分ほどと聞いたが、せっかくだから最前列で見ようと、並んだ。

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漆金薄絵盤

一通り見終わったらもう17時を回っていた。閉館は19時だったので問題なかったが、疲れたので、日本庭園が見えるお茶席で一服。

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お土産を買い帰路についた。
また来年も行きたい。

その前に、17日は飛鳥行き、これも楽しみだ。(^0_0^)

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埴輪製作

17日(土)丹後町の古代の里資料館で舟形埴輪をつくる会があったので、甥と二人で参加した。
会場は古代の里資料館に復元されている竪穴式住居の中。エアコンはなく扇風機だけだったが、あまり蒸し暑さはなくまあまあの環境だった。この程度の暑さなら、住居として十分に耐えられるだろう。



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まず、粘土を7ミリくらいの厚さにのばして、型を取る。このように同じ厚みの粘土の板を用いた作り方をタタラ作りというらしい。



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型が取れたら、組み立てる。

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真ん中の粘土を曲げてひっつけると舟の概形ができる。



その上に、上の写真のもう一つのパーツをのせて整形する。
ここで、昼休み。あっという間に2時間が経ってしまった。



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午後は下の写真ののこぎりクワガタの歯のようなパーツを舟の上にのせる。



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これで概形は完成。しかし、細かいところがまだまだある。
舟の前と後ろに横板になる粘土版を挟んだり穴を開けたり、きれいになるように
面取りをしたり、結局完成は15時頃になった。



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当日は10名の参加者がいた。
みんなの作品を一か所に集め、自然乾燥させた後、素焼きをする。
焼いたときときどき割れる者があるとのこと、割れませんように。
完成は約一ヶ月後。



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丹後建国1300年シンポジューム

今日は丹後建国1300年シンポジュームに行ってきた。



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丹後建国については異論も耳にしている。つまり、2世紀末から4世紀にかけて、丹後は大タニワ王国の中心地であった。しかし、その後、ヤマト政権が強大になるにつれて、タニワの中心も次第に南部へ移り、713年には、竹野郡、熊野郡、丹波郡(中郡)、加佐、与謝郡の5郡をタニワから切り離し丹後国と定められたため、「建国ではなく分国」であるとの意見もあった。なるほど・・・納得!



それはともかくとして、分国以前の丹後は、大タニワ王国の中心地であることは間違いないようである。それを示す例として、墳墓・古墳の多さが示されていた。京都府にある墳墓・古墳約12000基のうち、約5000基が丹後に集中していることが挙げられた。
夢を感じながら面白かったのが「タニハ国は、女王卑弥呼を擁立した国の1つか」であった。2世紀初頭の日本やタニワの情勢を考えると、「YES!」という結論になった。



そんな話を聞いているうち、ふと、邪馬台国は九州から北陸までの広い地域を表す総称(現在の日本のような)ではなかったのかと、勝手なことを想像しているうちに、終わった。
かなり専門的な話もあり難しかったが、同時に夢とロマンにあふれていて面白さも、再確認できた。

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