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晴耕雨読?それとも晴耕雨打?

仕事・家庭菜園・囲碁・アンネのバラ・そして旅行。結構忙しい。

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古文書講習会

板書仕切書>
久しぶりの古文書講習会に行ってきた。今年度最後だ。
今日は江戸時代から明治時代の宮津廻船問屋文書(もちろん本物)の判読。始めに一般的な書式を教わり、そのあと判読作業に取り掛かった。
受講生それぞれがたくさんの古文書の中から思い思いのものを選び取り組んだ。読めないところは先生に尋ねながら2時間余り必死に取り組んだ。
私の取り組んだ文書の内容は次のようなものだった。


一 大嶋黒砂糖五挺(梃?)
皆懸〆百廿八貫四百匁
内一貮拾壱貫五百匁内袋引
(中略)
正味金三拾四圓
三拾六銭九厘
右通御買入代金
不残相渡申候也
明治十七歳
申七月十八日
(など)

というものだった。
始めはほとんど読めなかったが、先生に教えてもらいにらめっこをしているうちに、少しずつ読めるようになり、講座終了時には判読が完了した。面白かった。
(^^)v
今年度は今日で終わりだが、また次年度も参加したいと思っている。欠席を減らしながら。
(^^ゞ

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古文書講習会

今日は最後の古文書講習会。いろんな予定が重なり半分くらいしか出席できなかったので、まだほとんど読めるようにはなっていない。しかし、判読の手引を見ながら少しずつ読めるようになってきた。

源氏物語 松かぜ
これは源氏物語の松かぜ
源氏物語 うす雲
これは源氏物語 うす雲
源氏物語 あかし
これは源氏物語 あかし
3冊とも江戸時代のものらしい。中身はほとんど読めないが、インターネットで現代文を見つけ、それと比べながら追いかけるとなんとなく読めてくる。読めると結構面白い。
源氏物語 桐壷源氏物語 桐壷2
これは源氏物語の桐壷。両方を見比べて読んでみると、それなりに読めてきた。
\(^o^)/
織田信長から細川藤孝への手紙1織田信長から細川藤孝への手紙2
これは織田信長から細川藤孝への手紙である。、内容は宮津に築城する許可を与え、明智光秀に相談するようにとの添え書きもある。本能寺の変の2年前の手紙だが、信長の光秀への信頼は厚かったようだ。
織田信長から細川藤孝への手紙3織田信長から細川藤孝への手紙4
2通目も信長から藤孝への手紙で、内容は宮津の領地の石高を調べるようにとの内容らしい。これは右の写真を見ていても意味は良く分からない。講習会では先生が読みながら解説。
(^^)v。
来年ももう一度入門講座を受講して、もう少し読めるようになりたい。

平成27年度 京丹後史博士講座開始

いよいよ昨日から平成27年度の京丹後史博士講座が始まった。
私が受講するようになってからもう丸4年が過ぎ5年目に突入した。
何年受講しても面白い材料がある。それが京丹後の歴史深いところと言えよう。
今日は、大野神社を中心にした神社に関する講座だった。

最初は神社の造り。大野神社は神明造りと呼ばれる構造になっている。この前竹野神社に行ったとき「流れ造り」と呼ばれる造りを教えてもらったが、この2つ屋根に特徴がある。神明造りは屋根に柱のようなものが突き出ているし、流れ造りは本殿前方に屋根が長く伸びているのが特徴である。この他にも「春日造り」「大社造り」と呼ばれるものもあることも教えてもらった。

造りも流れ造り・神明造りなど丹後の神社の例をあげて解説をしてもらった。
これまでは神社に参拝しても、なんとなく見ていた建物だが、少し意識を持って見られるようになった気がしている。

昨日の解説で興味を引いたのが、神社の由緒はどこの神社でも度々書きかえられていること。主祭神が代わる場合も珍しくないという。
つまり、神社の格を上げるために、より格の高い神様を主祭神にしたり、由緒書きに加筆訂正を加えたり、そういうことが決して古くない時代に修正されていることである。
そういうと神社の調査の価値が下がるようだが、そうではない。いろいろな修正が行われた時代の出来事と関連付けることで、面白い時代背景が見えたり、当時の神社周辺の社会情勢が見えてくる場合があるという。
そこまでいくと、素人の私には調査するのは難しいが、話を聞いていると、丹後震災後のとき紀元2600年のときなど立て直しは多くの神社が一斉に実施する場合もある。

格の高い古い神社だけでなく、比較的新しく由緒が絶対でない神社が、その地域の社会的背景を知る一つの手がかりになることは、私にとって非常に興味深いものであった。

大野神社旧蹟大野神社本殿(古写真)神明造りの土俵
大野神社旧蹟。神明造りの大野神社の古写真よく目にする神明造り。
元祖神明造り大野神社境内古写真2
元祖神明造り?弥生時代の竪穴式住居。大野神社境内の古写真。

丹後学園歴史講座(2) 丹後弁と名古屋弁

京丹後市高齢者大学丹後学園歴史講座(2)に出席した。
今日のテーマは「丹後弁と名古屋弁からみた丹後と尾張との関係について」だった。

以前から丹後弁と名古屋弁が似ていると言われているが、昨年から名古屋と京丹後市が共同でそのことについて調査をしていた。
そして、2月ほど前その結果が1冊の本にまとめられた。

今日の歴史講座は、たんに言語として丹後弁と名古屋弁が似ているというだけでなく、考古学から見た丹後と尾張の共通点や籠神社に伝わる海部氏系図から見た海部氏と尾張氏の関係、そして伊勢神宮内宮の天照大神と外宮の豊受大神との関係など、興味深い内容について説明をしてもらった。

概略は
・東海地方のパレススタイル壺(2世紀後半)やその他同型の遺物が丹後の古墳から出土していること
・平城京出土の木簡から古代米(赤米)を納めていた国の半数以上が旧丹波国と尾張周辺であること
・海部氏系図によると、海部氏と尾張連氏の始祖が火明命(ほあかりのみこと)である あるいは海部は尾張氏の別姓であること
・伊勢神宮外宮の豊受大神は丹後から遷ったこと
などであった。

考古学から神話まで広い範囲にわたって丹後と名古屋の関わりが深いことを、面白く拝聴した。

古文書講習会

丹後郷土資料館で実施されている古文書講習会に参加してきた。
きっかけはいたって単純、古文書が読めるようになりたいということだ。
神社仏閣や博物館に行くと古文書を良く目にするが、残念ながらほとんど読めない。
少しでも読めるようになりたいと前々から考えていた。
先日何かで古文書講習会が実施される情報が入ったので、早速行ってきた。

古文書講習会の予定表西遊記表紙
古文書講習会の予定表西遊記の表紙
西遊記文面西遊記挿絵
木版で書かれた西遊記。文字も挿絵も木版とは思えないなめらかな線で描かれている。


今日の学習は、ひらがなの「あ」~「こ」までの、変体仮名の変遷と書き取り。
同じひらがなが変化の違いでさまざまな書体で使われていたようだ。これを読めるようになるのが当面の目標。
できるのだろうか・・・・・((+_+))

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